最近は、イタリアの地方をレンタカーで旅する若いカップルが増えましたので、”地球の走り方”のような旅行案内書が必要になると思います。欧米の人は、昔からレンタカーで鉄道の駅がない地方の小さな街を訪れていました。
目次
- 1. イタリアのレンタカーとカーナビ事情
- 2. イタリアの道路事情とイタリアの走り方
- 3. トスカーナ・ワイン街道の走り方
- 4. トスカーナ・ドライブの魅力
- 5. 世界遺産オルチャ渓谷
- 6. ピエンツァという世界遺産の街
<トスカーナの農家>
1. イタリアのレンタカーとカーナビ事情
イタリアには、地方の小さな中世さながらの街がたくさんあり、訪れるにはやはり車が便利です。私の車にあるカーナビは旧式ですが、最新式のカーナビは日本並みとはいかないながらも、かなり近い。言語も3ヶ国語から、4ヶ国語まで選択可能で、日本語はまだ無理ですが、英語が多少わかるひとなら、苦もなく使いこなせます。
2. イタリアの道路事情とイタリアの走り方
<トスカーナ地方の一般道路>
イタリアでレンタカーを使いこなすコツは、大都会には車では入らないこと。特に、ナポリ、ローマ、ミラノは入らないに越したことはありません。一方通行が多いだけではなくて、イタリアにしかないような、複雑な道路の構造になっているところが多く、イタリアに慣れていないと、事故の危険性が増します。
イタリア人の荒っぽい運転は全ヨーロッパに鳴り響いています。また、ナポリはメルセデスなど高級車のレンタカーでは、盗難の危険も加わります。ナポリに行くというと、レンタカー会社としては盗難のリスクが大きいので高級車は貸してくれません。
さて、レンタカーですが、空港で借りて空港で返すということをすれば、大都会の市内に入ることは避けられます。ローマや、ミラノの空港には、世界中のレンタカー会社がありますので、日本でも予約できます。大都会のホテルは、郊外の駐車場が無料のところをお奨めします。駐車料金も馬鹿になりません。ローマの空港で借りて、ミラノの空港で返すというようなプラン立てがいいでしょうね。
3. トスカーナ・ワイン街道の走り方
<ワイン街道の看板>
さて、本題のトスカーナワイン街道を走るということですが、北からきても、南からきても,太陽の高速道路「A-1」の出口は、CHIUSI-CHIANCIANO TERMEです。イタリアは残念ながら、出口に番号がついていないので、どの出口かは、地図で確認するしかありません。カーナビが付いていれば、カーナビに従うしかないのです。
<道路脇にあるワイン街道の看板>
ワイン街道は、この出口からモンテプルチャーノを過ぎるあたりまで続きます。この写真のように、道路わきにワイン街道の看板がたっています。
お祭りでもない限り道はすいていて、田舎道の運転は快適です。高速の出口から、モンテプルチャーノまでは、トスカーナ地方の温泉保養所が、そこかしこにあります。よくご老人方が、散歩しているのどかな風景が見られます。
<ワイン街道のブドウ畑>
温泉地をぬけると、ブドウ畑、オリーブの畑、麦畑の世界が広がります。
<ワイン街道沿いの小麦畑>
4. トスカーナドライブの魅力
<モンテ・プルチャーノの街>
トスカーナのドライブは何が魅力かというと、起伏の多い台地のアップダウンと、素晴らしい景観の自然の中を走る爽快感でしょうか。モンテプルチャーノから、ピエンツァをぬけ、トスカーナ一番の高級ワインの里、モンタルチーノまでの街道は、世界遺産として登録されている『オルチャ渓谷』の中を走るために、日本にはない素晴らしい景観を楽しめます。
<ピエンツァの街>
また、運転するものに嬉しいのは日本と違って、街中は50kmに制限されていても街をはずれると場所によって多少は違いますが80kmまで出せるようになります。ちなみに、高速道路は130kmまでOKです。
<モンタルチーノの街>
5. 世界遺産オルチャ渓谷
<オルチャ渓谷の道路>
オルチャ渓谷は、”渓谷”と言われていますが、オルチャ川沿いに多少の谷があるだけで、実際には波をうったような丘陵地帯が続き、絵画か絵葉書の世界のような田園風景が広がります。
もともとは不毛の大地だったところを、人々が自然と格闘して、丘陵の斜面にオリーブ畑、葡萄畑、牧草地を作り上げ、自然と一体となった暮らしが根付いているところ。街道沿いには、空に一直線に伸びた糸杉が歓迎する農家、丘の上には中世そのものの街が点在しています。そこには自然と人々の暮らしがおりなす、絶妙なハーモニーがあります。
6. ピエンツァという世界遺産の街
<ピエンツァの街>
中世のような町々の中で、珠玉の街のひとつが、ローマ教皇ピウス二世が道楽で作らせたような世界遺産の街・ピエンツァです。
イタリアでも、あまり知られていないトスカーナ地方の小さな街ですが、立派に世界遺産に登録されている街があります。ピエンツァをご存知なら、かなりのイタリア・オタクと自賛されてもOKです。
ちょっと、退屈な話をすると、かつてこの街は、コルシニャーノ(Corsignano)と呼ばれており、何の変哲もない田舎街でした。ところが、1405年にこの地に生まれたエネア・シルヴィオ(Enea Silvio)がピウス二世としてローマ教皇の地位についたことにその端を発します。
このローマ教皇は、何を考えたのか、先ずコルシニャーノという町の名前を、現在の「ピエンツァ」へと改名し、三年計画で小さな田舎町を、自分の理想の都市に作り替えようとしました。ピウス二世の命を受け、その設計にあたったのがルネッサンスを代表する建築家の一人、ベルナルド・ロッセッリーノ(Bernardo Rossellino)。どう考えても3年では無理な話です。やがて二人とも亡くなり、未完成に終わりましたが、後世の私たちは、この教皇の理想郷を垣間見ることができます。ルネッサンス様式の建築が随所に残っており、小さな街ですが、安らぎがあります。
近年、アメリカのトレンディードラマのロケ地になり、そのドラマがヒットしたので、アメリカからの観光客が引きもきりません。
街の中心、ピオ二世広場から、大聖堂と司教座聖堂参事会員の家(Casa dei Canonici)の間から続いている道が、カステッロ通り(via del Castello)です。この道は城壁の上を歩くような形の歩行者専用の通りで、そこから見ることができるオルチア渓谷の田園風景はとても素晴らしい。
<ピエンツァの愛の通り>
もしこの通りに来たら、田園風景と反対の町側にもちょっとだけ注意してみて下さい。カステッロ通りから目抜き通りのロッセッリーノ通りにつながる細い通りがあります。教皇が造った街に、この街の人が行ったちょっとした『いたずら』があります。この通りの名前がとてもユニークなのです。広場に近い方から、フォルトゥーナ通り(via della Fortuna)、アモーレ通り(via dell’Amore)、 バーチョ通り(via del bacio)と続いています。
フォルトゥーナは「幸運」、アモーレは「愛」、バーチョは「キス」という意味のイタリア語です。バーチョの次の通りの名前は現地でのお楽しみです。
....が、答えをお教えします。キスまでしたら当然、電気を消してという話になりますよね。そうです、次の通りは、via del buio (暗闇通り)です。