『牛乳を注ぐ女』をはじめアムステルダム国立美術館の4作品をご紹介した【前編】に続き、日本でも人気の高い『真珠の耳飾りの少女』や『デルフトの眺望』など、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館で鑑賞できる3作品をご紹介します。

目次

『真珠の耳飾りの少女』

2010_01_Meisje.jpg<『真珠の耳飾りの少女』1665年頃, 44.5 × 39 cm>

あどけない表情でこちらを振り返る少女が描れた『真珠の耳飾りの少女』は、フェルメールの最も有名な作品のひとつです。口元にかすかな笑みを湛えているように見えることから、「オランダのモナ・リザ」とも呼ばれています。1999年にトレイシー・シュヴァリエが小説『真珠の耳飾りの少女』を発表し、2003年には映画化もされたことで一段と有名になりました。

少女が頭に巻いている異国風のターバンは、透明感のあるフェルメールブルーで彩られています。当時の画家たちはアズライトを原料とする顔料で青色を表現していましたが、フェルメールは天然石ラピスラズリを原料とした高価なウルトラマリンを多用しました。補色のイエローと組み合わせることで、より一層目を引く仕掛けになっています。フェルメールが好んだウルトラマリンとイエローの組み合わせは、ファン・ゴッホやマティスの絵画にも影響を与えています。

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<少女の耳飾りは実は真珠ではなく、ガラス製の真珠風耳飾りです>

ガラス細工のような瞳、みずみずしい唇、上品にきらめく耳飾り、艶やかな肌の描写は見る者の心を奪います。1994年の修復では、唇の左端と中央にも小さな白いハイライトが描かれていたことが明らかになりました。耳飾りには窓からの光と白い襟の反射のほかに、もうひとつの反射がありましたが、これは以前の修復ではがれた絵具が裏返しになって付いてしまったものだということも判明しています。小さなハイライトが絵画全体の印象を変えてしまうほどに、フェルメールの絵画は緻密です。

2018年の最新技術を駆使した研究では、少女に肉眼では見えないほどの細かいまつ毛があったことや、背景にカーテンが描かれていたことも判明しました。これまで少女は理想化されたトローニー(実在しない人物像)だと考えられていましたが、この研究によって実在する人物が現実の空間で描かれていた可能性が生まれたのです。

技法についても、フェルメールがまずは茶と黒の陰影で構図を描き、背景から前景へと絵具をのせていったことや、耳やターバンの上部、首筋の位置を修正していたことが明らかになりました。一方で、少女はいったい誰なのか、その魅惑の表情で何を考えているのかは謎のままです。秘密のベールに包まれているからこそ、少女はいっそうの魅力を放つのかもしれません。

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<かつてフェルメールの作品とされていたテオ・ファン・ワインガールデンによる贋作 『微笑む少女』1925年頃, 41 × 31.8 cm, ワシントン・ナショナル・ギャラリー>

今でこそ世界的に有名な『真珠の耳飾の少女』ですが、1881年のオークションでは2ギルダー30セントと、ただ同然の価格で落札されました。というのも寡作のフェルメールは、死後200年経ってから美術評論家テオフィル・トレ=ビュルガーによって再発見されるまで、その名を忘れ去られていたのです。フェルメールの絵画には価値がないと考えられ、別のオランダ人画家の名前が書き込まることもありました。

現在では、フェルメールはオランダ黄金時代の偉大な画家と讃えられ、その作品は盗難事件に遭ったり、贋作が現れるほどの知名度を誇っています。20世紀で最も巧妙な贋作者ハン・ファン・メーヘレンは、フェルメールの絵画をいくつも偽造して禁錮刑を科されました。ハン・ファン・メーヘレンの友人テオ・ファン・ワインガールデンもまた、『真珠の耳飾の少女』に似せた贋作 『微笑む少女』(上図)を制作しています。研究が緒に就いたばかりのフェルメールは専門家が数なかったことから、贋作が作りやすい状況にあったようです。

『ディアナとニンフたち』

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<『ディアナとニンフたち』1653 – 1654年頃, 97.8 × 104.6 cm>

『ディアナとニンフたち』は現存するフェルメールの絵画としては唯一の神話画です。黄色のドレスをまとったローマ神話の女神ディアナと、侍女である4人のニンフが描かれています。ニンフはそれぞれの視線を交えることなく、ディアナの左足を洗ったり、背中を見せたり、自身の左足を触ったりして、厳粛な雰囲気を醸しだしています。

女性たちの描写にはカラヴァッジオやティツィアーノといったイタリア絵画からの影響が見られ、ディアナの豊満な肉体表現は、レンブラントが1654年に描いた『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』ともよく似ています(下図)。

ディアナを表現する場合は従来、ディアナとニンフの水浴をアクタイオンが覗いてしまったエピソードや、ディアナと沐浴中にニンフのカリストがゼウスの子を身篭っていることが発覚するエピソードがテーマにされてきました。短気で辛らつな女神ディアナがドラマティックに描かれてきたのです。

一方でフェルメールのディアナは、「三日月を象った宝冠」や「皮製のサッシュ」といったアトリビュート(神の持ち物)でそれと分かるものの、侍女とともに身づくろいをするという、日常の穏やかな風景のなかに身を置いています。女性の私生活を優しく切り取るフェルメールの作風は、この最初期の作品にすでに片鱗を見せていたのです。

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<『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』レンブラント・ファン・レイン, 1654年, 142 × 142 cm, ルーヴル美術館>

1999年から2000年にかけての修復では、画面右上の青空(下図参照)が19世紀に描き加えられたものであることが明らかになりました。フェルメールの描いた植物に似せた枝葉を上描きすることによって、現在の作品はオリジナルに近い雰囲気を取り戻しています。修復ではさらに、カンヴァスの右端が15cmほど裁断されていることも判明しました。

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<修復前に制作された複製画には青空が残っています。お手元の書籍やグッズで確認してみてください>

17世紀を迎えるまで画家たちは、教会や王侯貴族のための宗教画や神話画、肖像画を描いていました。海上貿易で栄えたオランダでは裕福な市民たちが絵画を求めるようになり、風景画や静物画、風俗画といった新しいジャンルが主流となります。フェルメールもまた、『ディアナとニンフたち』以降は風俗画家へと転向し、室内画というジャンルを確立しました。『ディアナとニンフたち』は、フェルメールの作風やテーマの変遷を知るうえでも貴重な作品です。

『デルフトの眺望』

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<『デルフトの眺望』1660 – 1661年頃, 96.5 × 115.7 cm>

『デルフトの眺望』はデルフトの南端から中心街を眺めた風景で、スヒー川の畔にはスヒーダム門やロッテルダム門が建っています。中央に描かれたスヒーダム門の時計は7時過ぎを指し、朝の清々しい空気に雨上がりの街が輝いています。日陰に入った前景の建物は暗く描かれ、ひときわ明るく照らされている新教会と家々の屋根に向かって、吸い込まれるような奥行きが表現されています。

透明感のある水面は、油で薄めた絵具を何層にも重ねていくグレーズ技法で描かれています。停泊する船や屋根瓦のきらめきは、白や明るい色の点を点描するポワンティエ技法で表現されています。建物は遠くにいくほど輪郭がぼかされていますが、一番左側に小さく頭をのぞかせている尖塔は、その特徴的な形から旧教会の鐘楼であることが分かります。

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<『1654年10月12日 デルフトの火薬塔の爆発』エグベルト・リーベンシュ・ファン・デル・プール, 1654年, 36.2 cm × 49.5 cm, ロンドン・ナショナル・ギャラリー>

フェルメールが『デルフトの眺望』を制作した動機のひとつには、1654年の爆発事故があります。10月12日の深夜に軍の火薬塔が爆発し、デルフトの街の4分の1が破壊され、数千人が負傷、100人以上の死者が出る大惨事となりました。レンブラントの弟子であり、フェルメールの師ともされる画家カレル・ファブリティウスも、この事故に巻き込まれ32歳の若さで不慮の死を遂げています。

エグベルト・リーベンシュ・ファン・デル・プールのように、破壊されたデルフトの情景を繰り返し描いた画家もいましたが(上図)、フェルメールは『デルフトの眺望』に平穏な風景を描きました。岸辺では人々が立ち話をし、スヒー川の水面は鏡のように澄んでいます。爆発事故という大惨事で人生の無常を目の当たりにし、せめてカンヴァスの上にだけでも、故郷の美しい姿を残しておきたいと願ったのかもしれません。

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<岸辺で話をする女性の一人は『牛乳を注ぐ女』と同じ黄色と青の服装で描かれています>

デルフトで実際に絵画の描かれた場所に立ってみると、『デルフトの眺望』とはかなり印象が異なることに気がつきます。写真のようだと形容されるフェルメールの絵画は実のところ、ただ機械的に視覚情報を写したものではなく、フェルメールが五感すべてで感じたものや、記憶、感動、祈りを込めた心象風景なのです。現実の風景と、画家の思い描く虚構のはざ間に絵画は生まれます。鑑賞者の心を動かすのは、デルフトの光景をこうも美しく感じ取るフェルメールの感受性と、それを具現化しうる巧みな技術です。

私にとって『デルフトの眺望』には、フェルメールの人生が刻み込まれているように思われます。一時は画家としての成功を収め、父親としての幸福も享受したフェルメールですが、晩年にかけては経済的に困窮し、第三次英蘭戦争中の不条理にも苛まれ、失意のうちに43歳でこの世を去りました。『デルフトの眺望』に描かれた、隣りあわせの陽だまりと陰影は栄光と挫折を、オランダの変わりやすい空模様は、移ろいゆく時代や、人の力ではどうしようもない運命を象徴しているように見えるのです。フェルメールが洗礼を受けた新教会と、埋蔵された旧教会が描かれているのも、感慨深いものがあります。

フランスの小説家プルーストは『デルフトの眺望』を「この世で最も美しい絵画」と評しました。その著作『失われた時を求めて』では、登場人物の一人である作家ベルゴットが、『デルフトの眺望』の光の描写に圧倒されて発作を起こし、そのまま絶命するシーンがあります。私も、オランダに来て初めて『デルフトの眺望』の前に立った時の気持ちを、20年経った今でも忘れることができません。

アムステルダムとデン・ハーグを訪れる機会のある方は、ぜひフェルメール作品を鑑賞してみてください。皆様にとって人生や心を動かす出会いとなりますように。

マウリッツハイス美術館

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