カラスのいる麦畑

アムステルダムのファン・ゴッホ美術館は、世界最大のゴッホのコレクションを誇る美術館です。ファン・ゴッホ美術館で鑑賞できる油彩画とともに、炎の画家ゴッホが遺した魂をゆさぶる言葉をご紹介します。※「 」で括られたものがゴッホの言葉です。

目次

「芸術は人生に打ち砕かれた人々を慰めるもの」

自画像<『自画像』1888年>

「私は貧しい人を慰めたい」

「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」

16歳から勤めた画商を23歳で解雇された後、教師や伝道師として貧しい人々のために尽くしたファン・ゴッホは、つつましく働く人間の苦しみに同情し、彼らの心を慰める絵を描こうと27歳で画家になる決心をしました。生きとし生けるものへの愛を貫き、社会の常識や労働搾取の仕組み、体裁ばかりの宗教に抗うように、労働者の真情を描きました。

ジャガイモを食べる人々

1885年に完成した『ジャガイモを食べる人々』は、農夫を数年間にわたり描き続けたヌエネン時代の集大成です。ゴッホは「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるよう」に描き、大地に根ざす労働者への尊敬を表現しました。

「あなたの直観力と想像力を抑えてはならない。模範の奴隷になるな」

「このまま行けと、私の中の私が命じるんだ」

『ジャガイモを食べる人々』の完成から数ヵ月後、ゴッホは17世紀の巨匠ルーベンスを生んだベルギーのアントウェルペンに旅立ちます。描くことへの気力が日に日に満ちてゆく一方、ついに和解することもできず急逝した父親への悔恨の念を抱きつつ、1885年11月23日、32歳にして故国オランダに永久の別れを告げました。

「たとえ私の人生が負け戦であっても、最後まで戦いたいんだ」

「絵を描くことは信仰だ。そして世論に背を向ける義務を課す」

アントウェルペンからパリに移ったゴッホは、ベルナールやロートレック、ゴーギャンらと親交を持ち、印象派や浮世絵の技法を積極的に取り入れました。当初はパリで認められようと精力的に筆を揮ったものの、しだいに大都会の生活に疲れ、病気がちになります。自らの新しい絵画を理解しようとしない人々や、世間におもねる画商たち、さらには技法に頼りすぎて主題への愛情を持たない印象派への不信感が募り、1888年2月、明るい太陽を求めて南仏アルルへと移りました。

黄色い家,ひまわり<『黄色い家』1888年(左)/ 『ひまわり』1889年>

パリでの絶望から這い上がり、ゴッホは水を得た魚のようにアルルの風景を描きました。貧困と孤独に苛まれながらも、画家が相互扶助をする芸術村を作ろうと、「黄色い家」を借りゴーギャンを招きます。希望と夢にあふれたゴッホは『ひまわり』を4作続けて制作し、さらにゴーギャンの到着前に『黄色い家』や『アルルの寝室』を描きあげました。

そして10月、長い間夢見てきたゴーギャンとの共同生活が始まります。しかし、性格と芸術観の不一致のために2人の関係は行き詰まり、12月末には遂にゴッホの「耳切り事件」が起こったのです。精神異常を起こしたゴッホは「狂人」のレッテルを貼られ、監禁室に隔離されてしまいました。

「99回倒されても、100回目に立ち上がればよい」

「何ひとつ確信は持てないけれど、星の輝きが私に夢を見させ続けるのだ」

ゴーギャンの肘掛け椅子
<『ゴーギャンの肘掛け椅子』1888年>

「真実であることが、じつに大切なことなのだ」

カラスのいる麦畑<『カラスのいる麦畑』1890年>

「人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ」

「何があっても、私は再び立ち上がるだろう。大きな挫折の中で捨ててしまった鉛筆を拾い、私は描くことを続ける」

友情にみちた芸術村を作る夢は潰え、黄色い家を手放し、くり返し起こる発作への恐怖におびえながらも、ゴッホは描くことを諦めませんでした。正気でいられるうちに、次の発作が起こるまでの限られた時間を使って、アルル、サン=レミ、オーヴェルの情景を、うねる線と大胆な色使いで、ひたすらな情熱のままに描き続けました。

「私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う」

身体と精神をむしばむ忌まわしい病気への絶望感、正常な社会から締め出された敗北感、狂人扱いされる悲しみに打ちひしがれるゴッホにとって、描くことはもはや唯一の生命のあかしでした。極限状態で真実のみを求め、瞳を潤ませながら絵筆を動かしていたゴッホの姿を想像すると、胸が張り裂けそうになります。

木の根と幹

『木の根と幹』は1890年、ゴッホが亡くなる直前に描いた最後の絵です。ゴッホの情熱や孤独、愛への渇望を代弁するように、木々の根は衝動のままに大地をめぐります。ファン・ゴッホ美術館でこの作品に対峙するたび、その激情がひしひしと感じられ胸が熱くなります。

「人生を知るには、たくさんのものを愛することだ」

花咲くアーモンドの木の枝

1890年1月、最愛の弟テオに息子が誕生したことを祝い、ゴッホは新しい生命を象徴する『花咲くアーモンドの木の枝』を描きました。「狂気の天才」と語られるゴッホですが、実はただ、人を愛したい、そして愛されたいと、素朴な願いを持つ一人の画家だったのではないでしょうか。

「私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む」

絶えず孤独の道を歩み、その情熱と努力にもかかわらず、誰にも認められることのなかったゴッホは、1890年7月27日に自らを銃で撃ち、2日後に37歳でこの世を去りました。純粋な魂と、生涯の苦悩をもってあがないえた深遠な真実が注ぎ込まれたゴッホの作品は、強い力で私たちの心に迫ります。

花咲く果樹園<『花咲く果樹園』1888年>

2019年末から続く新型コロナウイルス感染症の影響で、昨今は生きづらさを感じている方も多いのではないかと思います。幾多の苦境を乗り越えたゴッホの言葉や作品は、不安を抱える現代の私たちの支えにもなってくれます。

希望に満ちてアルルに到着したばかりのゴッホが、一心に描いた『花咲く果樹園』のシリーズは、サクランボやリンゴ、桃の果樹に囲まれて育った私にとって、故郷の春を思い出させてくれるばかりではなく、また一歩踏み出す勇気与えてくれる作品です。

「何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう」

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」

今まで当たり前だった環境が変化して戸惑うこともありますが、どんな時も愛情をもって生き、コロナ禍後に広がる「景色の中に美しいものを見つけ」られるよう、ささやかな幸せを大切にしていけたらと思います。

ファン・ゴッホ美術館 (Van Gogh Museum)

  • 所在地:Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam, オランダ
  • 営業時間:火~金10:00~7:00、土・日10:00~18:00
  • 休館日:月曜日
  • 公式HP

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