目次

1. ローマからウルビーノへ

7年前の10月、ローマから日帰りで、マルケ州にあるウルビーノに行ってきました。

ローマからは、北へA-1の高速道路でORTEまで行き、そこからE-45に乗り換えて、北西に片道290キロの行程です。

ウルビーノ
<ウルビーノの街>

黄葉

イタリアは紅葉ということはなくて、黄葉になります。赤くなる植物がほとんどないのですが、それでも山間部を走ると黄葉が楽しめます。

2. ウルビーノの裸のビーナスの話

ウルビーノは山間にある城壁に囲まれた小さな街です。この街を有名にしているのが、ラファエロがここで生まれたということ。

ラファエロの生家
<ラファエロの生家>

彼の生家が残っており、一般に公開されています。

ウルビーノのビーナス
<ウルビーノのビーナス(ティツィアーノ作、フィレンツェ・ウフィッツィ美術館所蔵)画像出典:Wikipedia

フィレンツェのウフィッツィ美術館に展示されている、ティツィアーノの名画『ウルビーノのビーナス』をご存知の方も多いと思います。これは、ティツィアーノが頼まれて、太守の奥さんの裸を描いたものと言われていますが、自分のカミサンの裸を描かせた男っていうのは、どういう人物なのか興味がありました。

ウルビーノ公となるグイドバルド・デラ・ロヴェーレという人物が、その人です。自分の妻が妊娠して、子宝に恵まれるように祈願して、プライベートに依頼した作品とか、実際に存在する女性じゃなくてビーナス・女神であるとか、いろんな解説がありますが、

  • (1) 女神なら、なんで後ろのメイドが服を見つけるために、長持に顔を突っ込んでいるのか?
  • (2) 妻の懐妊を望むなら、天使による受胎告知でも描いてもらったほうがいい

それにしても、この女性は実在の人物だと思います。シーツの乱れは、何を表現しているのか??

このウルビーノ公は、カエサル(古代ローマのシーザー)オタクである、チェーザレ・ボルジャが、ローマ法王の命により教皇領を回復するためウルビーノを攻撃し、グイドバルドと妃のエリザベッタ・ゴンザーガは亡命させられました。

このチェーザレの失脚後、法王ユリウス2世の支援を受けてグイドバルドがウルビーノ公として復帰し、再びウルビーノの宮廷文化が栄えるときに描かせたものと思われます。15世紀にこのヌードは斬新だったことでしょう。

3. 美しくなければ建築と言えない

ドゥカーレ宮殿
<ウルビーノ大聖堂>

裸の話はこれまでにして、ウルビーノは戦略上の重要地点に位置したため、ローマ帝国時代よりあらゆる勢力に攻撃の的にされました。このため、破壊が常につきまとった感がありますが、ルネッサンス期からモンテフェルト家の支配が続き、ルネッサンス建築の愁眉といえるぐらいに街中には美しい建築が残されています。

ドゥカーレ宮殿
<ドゥカーレ宮殿>

この街の規模にしては立派すぎるドゥカーレ宮殿、18世紀~19世紀に建立された新古典主義様式の大聖堂(Duomo)など、非常に美しい建築が残されています。

ウルビーノ
<ドゥカーレ宮殿>

今、ドゥカーレ宮殿は、国立マルケ美術館としても一般に公開されており、宮殿の部屋の内部の装飾、ペードロ・ベッルグエーテ作「モンテフェルトロ家のフェデリーコ公爵と息子」、 ラファエロ作「貴婦人の肖像」、 ピエーロ・デッラ・フランチェスカ作「キリストの鞭打ち」、 「セニガッリアの聖母」などが展示されています。

ラファエロの作品は2点だけというのは、ちょっと寂しい感がありますが、彼の人生は大半がローマでの創作活動でしたので仕方ありません。絵画の好きな方には嬉しい美術館です。

>>国立マルケ美術館(ドゥカーレ宮殿)HPはこちら

ウルビーノ

ウルビーノを日程に入れている日本のツアーは皆無に近いですが、アメリカ人や他の国の観光客のバスが駐車場にありました。街全体がこれほど美しい街も珍しい。ぜひ自分の目で確かめてください。

ウルビーノ

4. 余談ですが… 大雑把なイタリア、そこで起こる椿事

最後にいつもの余談です。

1. イタリア人はよく、手で喋るといわれています。だから、運転中のイタリア人に話しかけることは危険。すぐにお喋りに夢中になって、ハンドルから手を離す。

議論に熱中しているイタリア人に、自分の言いたいことを聞いてもらいときには、そのイタリア人が振り回している両手をつかむ。不思議と黙ります。どうも、手を振り回していないと喋れないのがイタリア人らしい。

犯罪で逮捕したイタリア人に自白させようとしたら、手錠を外すこと。手錠していたら、手が使えないから自白できない。

2. イタリア人は順番に並ぶということが得意ではない。われがちに殺到するのである。ヨーロッパの中で言われていることに、ドイツ人が二人いると列ができる。イタリア人が二人いると、列が乱れる。

3. 古代ローマの軍は百戦錬磨だったが、近代イタリア軍が勝ったという話はあまり聞かない。第二次大戦中の北アフリカ戦線。砂漠の中で連合軍にイタリア軍が包囲された。孤立したイタリア軍を救出するために、ドイツは軍を派遣した。さぞかし、水もなく窮地に立たされていると思いきや、イタリア人達は大きな鍋でパスタを茹でていた。

4. イタリアのレストランは、イタリア人達の話し声、笑い声、子供が叫ぶ声で満ちている。とにかく五月蝿い(うるさい)。静寂とは無縁の人たちである。しかし、彼らが一瞬黙るときがある。勘定書きがきて、誰かが合計金額を言ったとき。

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